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巴里といえば、エッフェル塔に凱旋門、それにムーランルージュも忘れてならぬ。また描いたらアップします。(え)


by mini_mie
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8月28日(金)。「逆命利君」の男

さすが、佐高さん、面白い。
古本屋で、105円で買った文庫本です。
8月28日(金)。「逆命利君」の男_e0059834_21464168.jpg

その30・31ページ全文を写して、文章修業をするえのさんであった。


「逆命利君」の男

 1931年に生まれ、55年に住友商事に入社した故鈴木明夫は、求められた「誓約書」を出さなかった。 

 面接試験までして入れた人間にそんなものを書かせるのはおかしい。そう考えた鈴木は、どうしても出せと言うなら、会社も自分に「誠意をもって月給を払います」という誓約書を書け、と主張し、そのため人事部も困って、結局出さずじまいとなったのである。「自分は会社に時間を売っているのではない。仕事を売っているのだ」が口癖だった鈴木は60年代に鉄鋼貿易をやっていたころは毎晩遅いので、翌日の午前中はほとんど出社しなかった。

 洒落者だった鈴木は「断水のため洗顔不能」とか、「今朝は靴のひもがうまく結べなかった」といった人を食った理由をつけた遅刻届を出し、個人的にフレックスタイムを実行していた。

 少々まともな理由では「昨夜、当社の将来を考えたら眠れなかった」というのもある。
 
 企画力、語学力、交渉力が抜群で、とくに外国人とのそれに巧みだった鈴木だから許されたとも言えるが、非合理な日本企業の管理に刃向かう鈴木をかばい、同期のトップで常務にしたのは現会長の伊藤正氏である。

 中国の古典に「命に逆らって君を利する、之を忠と謂う」という言葉がある。時には上からの命令に逆らっても思うところの意見を述べるのが忠だという意味だが、この「逆命利君」の精神を体現した男が鈴木だった。
 鈴木は自分をかばってくれる伊藤氏に対しても苦言を呈した。

 私は、鈴木明夫になる可能性を秘めた人間は少なくないと思う。ただ、ズケズケ直言する部下の声に耳を傾け、それを大事にしながら引き上げていく伊藤氏のような人間が少ないのである。

 会社と自分を五分の関係としてとらえ、「屈折した陰湿な精神風土が支配する」日本企業を開く努力をした鈴木は89年に56歳で亡くなった。拙著 『逆命利君』 (講談社文庫)はその鈴木の生き方を追っている。

 
by mini_mie | 2009-08-28 21:46 | ★携帯カメラ日記